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Un Homme et Une Femme |
2008/03/31(Mon)
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先日またまたネットでお世話になってる方々とオフでお会いする機会があり グラス片手にアブノーマル談義に花を咲かせるという楽しい時間を持つことができた。 M嗜好の女性にS嗜好の男性、それぞれ違うバックグラウンドを持つものが 一つ所に集い、あれやこれやと話をするのは本当に面白い。 その中で、いくつか喧々囂々(ケンケンゴウゴウ)となった話題うちのひとつがこれ。 「男と女、どちらが優秀か。」 こういう変態仲間(失礼^^;)の会に限らず、宴席ではよくある話題のひとつだと思うが 見事に正反対の意見がぶつかってとても興味深かった。 その話にいたる前に「なぜホテル代を出すのは男性の場合が多いのか」とか 紆余曲折あってのことなのだが。 で、そこに出てきた意見が二つに分れた。 片や「やはり人間的に優れているのは断然男性側。匠といわれる技術者は全て男性だし。」 片や「男性はもの凄く優秀な人とどうしようもないグループに別れる。平均値は女性が上。」 どちらもなるほど、と思う意見。 で、私の見解はというと........「老若男女関係なく、優秀な人は優秀。だめな人はダメ。」 答えになってないじゃーん!って怒られそうだけど、本当にそう思う。 生物学的な目で見れば女性、社会学的な目で見れば男性かな?と、わずかには思うけれど。 それについても何をもって優秀と取るか(筋力か?個体繁殖力か?)によって変わってくるだろう。 男らしさ、女らしさも時代によって移り変わる。 その「らしさ」という洗脳によって、持っている能力が伸ばされたり押さえ込まれたりもするだろう。 個人的な感覚からいえば、男女差の優劣より個体差の優劣の方を肌で感じる。 私を含め、外資系企業育ちの人間はそういう考えを持つ人間が往々にして多い。 同じ外資系でも米国(ユダヤ系)資本とフランス資本の両方で働いた経験から より強くそういう概念を持ってしまうのかもしれない。 私がかつて属した企業では男女差や年功序列なんてまるで関係なく、それこそ国籍も人種もバラバラ。 上司への根回し(ゴマスリ)や自己アピールも含め、結果を出した人間はその報酬を受け取る。 が、それもあくまで四半期単位の評価で、結果が下がればすぐにそれが給与に反映していく。 年俸制や出来高制のスポーツ選手をイメージしてもらえればわかりやすいかもしれない。 男性か女性か、若年か高齢か、白か黒か黄色か...ビジネスの上では関係ない。 人種によるステレオタイプだってかなり怪しいものだと最近は思うようになった 時間に正確でもの凄く働きモノのイタリア人もいれば、気弱でいい加減なドイツ人もいる。 ワインやチーズが苦手で和食、それも納豆好きのフランス人も結構いるのだから。 同じような環境で育てられ、男女差・国籍人種差に関係ない倫理感と教育を与えられたら 分野はそれぞれ違っても、単純に個体差による優劣がつくのではないだろうか。 男って~だからダメだよね、とか だから女は~なんだよ、とか なんて嘆いてみてもはじまらない。 それは『男女差』ではなく、たぶん『個体差』 話を聞かない女も、地図の読めない男も結構いるものだ。 そういう個性もひっくるめてその人の魅力。 それが自分にとって困った個性だったら、是正してもらうべく根気よく働きかけていくしかない。 往々にしてどの世界に属しても異端者(変わり者?^^;)になってしまう私はそう思ってしまうのだ。 (女性なのに男性脳、Mなのに隷属嗜好なし、スパンキーなのにスパ後のエッチ好き...etc.^^;) 【Un Homme et Une Femme 1966】 【Un Homme et Une Femme Clementine】 |
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